〜十の月、サンビタリア〜

 アーウィングがクレツェントに来てから、早二ヶ月が過ぎた。
 だが、平和なクレツェントでの生活に
 微かな暗雲が立ち込めようとしている事に、彼はまだ気付いていない…。
 「お届け物です」
 「ご苦労さん!…で、これは誰から誰への贈り物なのかな?」
 使いの者にものすごい笑顔で凄むフェンネルを発見して、
 アーウィングは慌ててその間に入った。
 「フェンネル!この人は"知らない"だけだよ。
 第一、ここはクレツェントなんだから!」
 「あ、そうか…」
 ポンと手を叩く。
 「すみません。それで、この花束は…?」
 「ここに届けるように頼まれたのです。
 この辺りでは見かけないお嬢さんでしたが…」
 「そう。ありがとう、これは取っておいて…」
 アーウィングは花束を受け取ると、使いの者に礼金を払ってやった。
 「しかし、誰が送ってきやがったんだ?」
 贈られた花束は薔薇。
 それも黄色のものだった。
 黄色の薔薇の花言葉は"嫉妬"。
 「そうだね…ん?カードが入ってるよ?」

 『――親愛なるアーウィング様。
   ご婚約のお話、本来ならばお喜びするべき事と解っていながら、
   素直に喜んで差し上げられない愚かな私をお許し下さい。
   貴方が王女へ"アスクレピアス"を贈られる事を願いつつ…
                             ヴィンカ=ローセア――』

 「ヴィンカ…って、誰だっけ?」
 「おいおい、ローセアって言ったら伯爵家のローセアに決まってるじゃんか」
 「ダイアーズ殿は知っているよ。
 だけど、その娘…なのかな?
 ヴィンカという名のお嬢さんには会った事がない」
 カトレア王国の伯爵家の1つであるローセア家は勿論、知っている。
 アーウィングが皇太子の地位にあった時、
 勉学の指導をしてくれたのがダイアーズ=ローセアだった。
 その縁で屋敷に招待された事もあり、
 また熱心に娘を妃候補にしようとお見合いのような席を設けられた事もあった。
 とにかく、感謝する反面、迷惑な事を考える人なのだ。
 「じゃあ、会った事ないお嬢さんがまだ居たんだな」
 「そうみたいだね。
 でも、僕がリディア姫に"アスクレピアス"を贈る日なんて一生来ないよ。
 あれは美しいけど、毒草だ。有り得ないよね?」
 「そうだな…」
 (多分、心変わりしてくれっていう事を言いたいんだろうけど…
 その方が有り得ないよ)
 この結婚はアーウィングが望んだ事だ。
 リディアに出会う前なら少しは心揺れたかもしれないが、
 出会ってしまった以上、リディア以外の相手など考えられない。

 十の月になってから、アーウィングがリディアを訪問する機会はなかった。
 この所、王城に出向いても政治や法律、作法や習慣といった学ぶべき事が多く、
 落ち着いて話す時間が取れない為だった。
 結婚まで半年を切ったという事もあり、
 この国の人間として暮らしていく準備はそろそろ整えておかなければならなかった。
 来年は一度、故郷に帰り、その上でこちらに大掛かりな一団で戻ってくるのだ。
 それまでに、やるべき事は全て終わらせるつもりだったのだ。
 「はぁ〜、リディア姫に会いたいなぁ…」
 「まぁ、みっともないですわ。アーウィング様が弱音なんて!」
 うっかり、お茶を持ってきてくれたシレネに聞かれてしまった。
 「でも…その気持ち、お察ししますわ。
 ディルお兄様の指導、最近、容赦ありませんし…」
 「うっ…」
 「ご同情いたしますわ。それでは、私、城に参ります故…」
 ホホホとわざとらしい笑みを浮かべながらシレネが部屋を出る。
 「…ん?今、城に行くって言ってたよね?シレネッ!」
 慌ててシレネの後を追いかける。
 だが、部屋を出たところで足が前に進まなくなった。
 腕と視線が痛い…。
 「どちらへ行かれるのですか?」
 「―――!」
 にっこりと微笑まれる。
 その瞬間、アーウィングの表情が恐怖に固まったのは言うまでもない。
 その日の指導はいつにも増して厳しかったという…。

 王城は賑やかな所だとシレネは来るたびに思っていた。
 カトレアの城と違って音楽に満ちている。
 ただ、カトレアは緑や花に囲まれて穏やかで落ち着く。
 シレネがこちらの城に来るようになったのには理由がある。
 侍女としてリディアに仕え、
 カトレア国の事やアーウィングの事をこっそり教えているのだ。
 「失礼します。シレネ、参りましたわ」
 「どうぞ…」
 王女の部屋に入るのは少し緊張する。
 シレネは男兄弟に囲まれて育ち、
 またそういう環境に馴染んでいた所為で
 女同士の付き合いというものをした事がなかった。
 だから、いかにも女らしいタイプのリディアには、憧れる部分があるらしく、
 少し緊張してしまうのだ。
 「本日は、私から王女にこれを…」
 シレネが差し出したのは小さな鉢植えだった。
 そこには小さく愛らしい花がちょこんと咲いていた。
 「これは…クロッカス?」
 「いいえ、こちらはステルンベルキアという花ですわ。
 クロッカスとも似ていますけど、あちらは春の花、
 こちらはこの季節の花」
 「じゃあ、これはどういう意味なのかしら?」
 リディアはシレネに尋ねる。
 「これはアーウィング様の姿ですの。
 最近のあの方はずっとこんなカンジです」
 「…?アーウィング様の姿、確かにピッタリね。
 小さくて可愛らしくて明るくて…」
 「あはははっ!…あ、失礼を。
 その、この花は『待ちきれない』という意味がありまして、その…」
 「まぁ…」
 リディアは紅くなった。
 (ご同情いたしますわ、アーウィング様…)
 リディアの中でアーウィングは小さな男の子、
 弟のような存在でしかないという事が分かってしまった。
 シレネはそれも仕方がない事のように思えた。
 アーウィングは年下の自分から見ても幼い。
 成人したとはいえ、少年のままの姿と心。
 それは彼の美徳ではあったが、同時にコンプレックスでもあった。
 「本日はどういうお話をしましょうか…」

 王城に思わぬ客が現れた。
 カトレアと姻戚関係を結ぶ事になったクレツェントには、
 時折、カトレアから友好使節が訪れる。
 「少しの間、こちらに滞在させていただけるのですね?」
 「勿論です。伯爵家のご令嬢とあっては、
 こちらも丁重にもてなさねばいけませんな」
 カトレアからやってきたのは、伯爵家の娘だった。
 父親からの書状と贈り物を持って現れたのだ。
 勿論、それは表向きの用事で、本当の目的は別にあった。
 「王女にもご挨拶がしたいのですが、お目通りは可能でしょうか?」
 「リディア様の部屋まで案内いたします。
 国王から貴方のお世話は承っております。こちらへ…」
 「ありがとう。この子も連れて行ってよろしいかしら?」
 ピッタリと小さな少女が寄り添うように付いていた。
 「私の身の回りの世話をしてくれているの」
 「構いませんとも」
 リディアの部屋へ向かう途中、庭が見えた。
 それは身体の弱いリディアの為に造られたもので、
 近頃はアーウィングによって植えられた花が咲いている。
 アーウィングは言葉を花に託す。
 それは切花だけではない。
 こうして,この庭を飾る事でもそれは表される。
 その話を聞いて、城の者達は少しだけ花に詳しくなっていた。
 リディアの部屋にはシレネがいた。
 思わぬ客人を連れてきたのは王女のお目付け役のダリウスだった。
 それは、派手とまで行かない程度に華やかな顔立ちの年頃の女性と、
 勝気そうでどこか品のある小さな少女の二人組だった。
 「リディア様、こちらはカトレア国のローセア伯爵の令嬢・ヴィンカ殿です。
 ご挨拶を、という事でしたのでお連れしました」
 「お会いできて光栄です、リディア王女。
 私はヴィンカ=ローセアと申します。父の名代でお届け物を…」
 「まぁ、こちらこそお会いできて嬉しいわ」
 リディアは笑顔で応える。ヴィンカという名にシレネはハッとした。
 「貴方、この間アーウィング様に黄色の薔薇を贈られた方ね!」
 「あら、黄色の薔薇は贈り物には適さないのでは?」
 「ええ。でも、確かに覚えています。
 貴方からの言葉、この場では言いませんけど、
 こんな所まで追いかけてくるなんて非常識だわ!」
 リディアは何が起こっているのか解らないというような表情をしていた。
 シレネとヴィンカと名乗った女性の間の微妙な空気に堪りかねてか、
 スッと小さな少女が前に進み出た。
 「残念ですけど、そのようね…」
 沈みがちな声で少女が呟いた。
 「無礼をお許し下さい。私が本物のヴィンカなのです」
 「ヴィンカ様…」
 「ローズマリー、もう芝居は結構よ。私の負けだわ」
 先程まで"ヴィンカ"を名乗り、シレネと対立しようとしていた女性は、
 本物のヴィンカ――小さな少女の傍に控えた。
 二人を案内してきたダリウスも当惑した表情だった。
 小さな手がシレネの持ってきた鉢植えに触れた。
 ヴィンカはその花をじっと見た。
 「この花…ステルンベルキアね。
 待ちきれないほど、あの方はこの結婚をお望みなのね」
 「貴方、もしかして…?」
 「こちらに来るまでに庭を拝見して、分かってました。
 あの庭に咲き誇ってる花はあの方の心、
 サンビタリアは私に向かって咲いてはくれない…」
 ヴィンカは寂しそうに微笑んだ。
 「こんなに美しい人とは思わなかった。
 すごく残念だわ、私…どうしてもっと早く生まれなかったのかしら…」
 「貴方、アーウィング様を好きだったの?」
 リディアが訊くとヴィンカはコクンと頷いた。
 「私じゃなくて、貴方が相手の方が
 アーウィング様は幸せだったのかもしれませんね…」
 「そんな風に慰めてもらっても嬉しくはありません。
 それに、それは違うと思います。
 あの方の幸せは、悔しいですけど貴方にしか与えられない。
 同じに想い合わないと幸せじゃないなんて嘘だわ。
 好きな人の傍にいられるなら、それだけで十分幸せですもの。
 不幸なのは、愛せない人…愛のない人だわ」
 「このお嬢さんの言う通りです。自信を持ってくださいませ。
 アーウィング様は王女しか見えてらっしゃらないのです。
 今から庭に出ません事?あの方の言葉がうるさいくらい咲き誇っていますわ」
 リディアはシレネの言葉に頷いた。
 庭に出ると、まず薔薇達が迎えてくれた。
 嵐の跡はもうどこにもない。
 それから、婚約の時に植えられたエキザカム…。
 「さっき、ヴィンカ嬢の仰っていたサンビタリアです」
 そこには小さくなったひまわりのような黄色の花が咲き乱れていた。
 「この花、小さいのに精一杯咲いて…
 まるで"自分を見て"って言っているみたい」
 「その通りですわ。サンビタリアは『私を見つめて』。
 この花はアーウィング様自身…そして、それはリディア様に向かって咲いている。
 本当、うるさいくらい…」
 「私、応えられるかしら?
 いつまで私の気持ちが追いつくのを待っていてくれるのか…」
 アーウィングは"愛し、愛される関係"を望んでいる。
 それに応えたい気持ちはあるが、まだ彼と同じ気持ちだとは言えない。
 「大丈夫です。アーウィング様なら、
 きっと待ちきれない時は引き返してでも迎えに来て下さいますよ」
 シレネがウィンクをする。
 「王女、私は明日にも国に戻ります。
 本当の事を言うと、黙って家を出てきたのです。
 書状や贈り物は本物です。
 使いの者から勝手に取り上げてローズマリーと一芝居打ったのです。
 だから、早く帰らないと大きな騒ぎになります。
 今度は、今度この季節に来る事があれば、
 その時はデンファレの似合う関係である事を期待していますわ」
 「ええ、きっと…」
 ヴィンカの言葉の意味をリディアは理解できなかった。
 ただ、悪い意味の言葉ではないと判断して笑顔を返した。
 「本当、早くそうなれば良いけど…」
 シレネは小さくため息をついた。
 「それでは…貴方、アーウィング様の乳兄弟の一人でしょう?
 これを私からだといって渡して下さい」
 帰り際、ヴィンカはコスモスの花を一輪差し出した。
 「もう迷子にならないくらい大きくなりましたのに、と…」
 シレネはそれを丁重に受け取った。

 こうして、自分の知らない所でそんな事が起こっているなんて、
 アーウィングは全く予想していなかった。
 城から帰ってきたシレネからコスモスの花を渡されて、
 ようやく、少女の面影を思い出した。
 「ヴィンカ…あの子だったのか…」
 カトレアにいた頃、王宮で迷子になっている少女を見付けた事があった。
 そこで、少女の身元が判るまでアーウィングは一緒に遊んでやった。
 あれは、もう3年も前の事。
 その少女は確か、7歳か8歳だった。
 
 『大きくなったら、王子様のお嫁さんになる!』
 『その場合、お嫁さんじゃなくて、"妃"って言うんだよ』
 『お妃さま?』
 『そうだよ。じゃあ、君が大きくなるまで僕は結婚できない事になるわけだ…』
 『大丈夫、すぐに大きくなるもん。約束する!』
 『じゃあ、約束。もう迷子になんてなっちゃダメだよ』
 『早く大きくなるから、待っててね…王子様』
 
 そんな事、すっかり忘れていた。
 よもや、その約束を本気にされるなんて思ってもみなかったのも事実。
 コスモスの花は"乙女の心"。
 知らずに手折った過去の自分を責めても仕方がない。
 「彼女に悪い事をした…許してくれるだろうか?」
 「女は早く大人になりますから、
 それくらい笑って許す余裕は十分あるように見えましたけど?
 それから、次に会う時はデンファレが贈れる関係になっていて下さいね、
 というような事を言ってました」
 「デンファレ…」
 一同、デンファレの花言葉を頭の中で検索する。
 「そう…それじゃあ思いっきり僕の片思いだってバレてるじゃないか!」
 うっかり叫んでしまってアーウィングは恥ずかしそうに俯く。
 「本当に、早くそうならないと辛いよな…」
 フェンネルがボソッと呟く。
 「デンファレ…"お似合いの二人"になっていて下さいか…。
 今の王子とリディア姫は、一緒に並ぶと姉弟にしか見えませんもんね!」
 セージュが能天気にもそんな事を言ったものだから、
 アーウィングは顔を上げてキッとセージュを睨みつけた。
 「―――っ!セージュの馬鹿ぁ!大ッキライだぁ!」
 アーウィングは走って自室に戻ってしまった。
 その瞳の縁には微かにキラキラ光るものが浮かんでいたとかいないとか…。
 (アーウィング様、可愛い♪)
 シレネは笑いを堪えた。その隣で大笑いするフェンネル。
 「セージュ兄、最高!アレはかなりショックだったと思うぞ〜。
 もしかして泣いてるかも?!」
 大嫌いといわれたショックで蒼白のセージュに、そっとディルが近付いてくる。
 「兄上…」
 「――――!」
 ディルのその笑顔を見た瞬間、セージュの顔から色が無くなったのは言うまでもない…。

 花は僕の心を映すもの、咲き誇る花は僕の言葉、
 君に向かって咲くこの想いを、
 どうか、気付いて欲しい。

 ――僕を見て下さい。

 サンビタリア、小さな花よ。
 それなのに心に残るのは何故?
 精一杯咲くその姿は、健気な貴方そのもの。
 "私を見つめて"と囁くけれど、
 まだ応えられない私を許して…。

今回の話はアーちゃんと乳兄弟の上下関係がハッキリしましたね☆
最強キャラは誰か?皆さんの想像通り、それは次男のディルです。
顔良し、頭良し、剣も出来るしお菓子が作れる。でも、その笑顔は氷の微笑。
彼のダメな所はアーちゃん無しの生活(・・・いや、世界かな?)が
考えられない所です。甘やかすのも得意ですね。
ちなみに、実在する人ではセージュは江●洋介、ディルは●木直人を意識。
その件に付いてのクレームは受けつけません!
フェンは色々なキャラをいじってるのでコレと言うモデルはないんです。
シレネはデビュー当時の榎本加●子かなぁ…しいて言えば。
アーちゃんは…????+???。
秘密なんです♪

深愛〜花は囁く〜・4へ続く。